日別アーカイブ 2009年8月20日

投稿者:

ペルソナ型レコメンデーション

ペルソナ戦略のことを書いて、気になったので、ペルソナ戦略に関する他のサイトもちょっと見てみました。「ペルソナと顧客セグメンテーションを混同してはならない」、「ペルソナと顧客セグメントはまったく別物」という人がいますね。
まあ、こういう「言葉のあや」にいちいち反応していても仕方ないのですが、一応補足しておきます。
ペルソナと顧客セグメンテーションにおける(各セグメントの)プロファイルとでは、顧客像を描く詳細度と厳密さが違います。あえて引用するのはやめておきますが、横軸に「厳密さ・データ量」、縦軸に「詳細度」をとった大ざっぱな図解で、ペルソナや顧客セグメント、その他のユーザー・モデルの違いを説明することができるわけですが、あれは表現(描写)方法の違いを説明しているのであって、本質的な違いを示しているのではありません。(しかし、漫然と図解を眺めると両者がまったく異なるような印象だけを与えられるわけで、図解の落とし穴というやつです。)
「顧客(ユーザー)を理解する」という大目的に対して、さまざまな切り口や方法があるだけのことで、大元は同じです。
ペルソナ原理主義とでもいうべき論者の中には、「(アラン・クーパーが提唱した狭義の)ペルソナとは本来的に(コンピュータのGUIにおける)インタラクション・デザインを目的としたもので、売ることを目的としたマーケティングでの顧客セグメンテーションとは目的が違う」と言う人すらいますね。
確かに「ペルソナ」の原典であるアラン・クーパー著『コンピュータはむずかしすぎて使えない』翔泳社は、コンピュータ製品の設計思想について書かれた本であり、マーケティングの本ではありません。しかし、今日産業界でペルソナが注目されている理由は、原典のままの意味ではありません。
「ぺルソナはインタラクション・デザインのためのもので、商品を売ることを目的とした顧客セグメンテーションとは違う」と言うのなら、「ペルソナ・マーケティング」なんてことは成り立たないことになります。
ペルソナにしても、CRMにしても、あるいはマーケティングにしても、「顧客に目を向ける」という精神は同じであるはずです。商品企画、設計・デザイン、広告・宣伝、マーケティングなどの組織を横断して顧客に対する知識を共有する手段として「ペルソナ」が再評価されている、というのが「ペルソナの今日的意義」かと思います。
したがって、その意味では、ぺルソナとマーケティングにおける顧客セグメンテーションの間では、翻訳可能な関係をしっかりと持たせるべきなのです。
ただし、「(狭義の)ペルソナと(マーケティングの)顧客セグメンテーションとでは、ユーザー(顧客)を理解しようとするその観点が異なる」というのなら、それにはまあ一理はあります。
しかしながら、2009.08.05に書いたように、顧客セグメンテーションだって固定的であってはならないのです。顧客セグメンテーションのバリエーションの中に、ペルソナと共通する観点でのセグメンテーションがあっても何ら不都合はないのです。
ペルソナ原理主義によれば、(狭義の)ペルソナは「顧客」というより「ユーザー」として側面で捉えられ、したがって、「製品・技術への習熟度」という観点が重要なファクターとなります。しかし、顧客セグメンテーションにおいても、目的によっては「製品・技術への習熟度」という観点を付け加えても、何ら不都合はありません。
たとえば、Webサイトの訪問者が、同じ商品に興味を持ったり、あるいは同じ用語を検索したとしても、ビギナーと熟練者とでは欲している情報のレベルが異なることは容易に想像できます。それは、販売の場面であろうが、ユーザー・サポートの場面であろうが、同じように生じることです。
たとえば、Webのレコメンデーションやトラブルシューティングのようなサービスで、ユーザーが自分の欲する情報を探す場合、ユーザーの詳細な個人情報を入力する代わりに、いくつかのペルソナから最も自分に近いと思われるペルソナを選択することによって、よりその人に適した情報を提示するシステムを考えることができます。自己組織化マップやベイジアンネットワークなどの技術を使えば、そのようなシステムを実現することができます。