月別アーカイブ 8月 2011

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As One

As One
Mehrdad Baghai & James Quigleyほか, Penguin Group, 2011.
自己組織化マップの支援によって理論構築を行った新しいタイプのマネジメント論
かつて私はコンサルタント会社で事業戦略の立案をコンサルする部門で働いていました。しかし、そこで学んだ戦略理論にはとても不満を覚えました。そして、その不満はマネジメント論全般にまで及びました。
何がそんなに不満なのか?それは、「理屈が単純すぎる!」ということです。
何かの問題を解決するときに、あれこれ難しく考えるよりも、できるだけ単純化して考えるほうがうまくいくことが多いものです。しかし、それにしても「マネジメント理論の理屈は単純すぎる」というのが私の感想でした。私には現実の複雑性をあまりに強引に捨象し過ぎていると思えました。
後に私が自己組織化マップ(SOM)に深く関わるようになった動機が、この思いだったのです。
ここにご紹介する『As One』という本は、世界的なコンサルティング・ファームであるデロイト・トーシュ・トーマツにおける最新の研究です。
この本の最大の特長は、ViscoveryのSOMの支援によって、理論の枠組みを作成したという点です。マネジメント論に新風を吹き込んでおります。
この本の起点は、従来の大部分のマネジメント論では、集団のリーダーシップについて、あまりに単純な2つの分類法:
1.古い<指示-コントロール>モデル
2.新しい<アジル-適応>モデル
でしか考えてこなかったということへの反省です。
要するに、従来のマネジメント論は、論者の頭の中で考えた理想に現実を当てはめて理論を構築しているようなところがあるわけですが、この本の著者らは、そのような態度を改めて、事実に基づいて理論を構築しようとしています。そのためのカギとなる道具がSOMなのです。
この本では、SOMを用いて、データに基づいて、リーダーシップを8個の類型に分類しました。この本の中では、SOMの分析については詳しく書かれておりませんが、この本のすべては、ここから出発しているのです。
マネジメント問題にSOMを活用することのメリットは、理論(仮説/モデル)の構築だけでなく、新しいケースがどの類型に属しているか、そして、そのケースにどのような処方箋を与えることができるかの診断ができるという点にもあります。
現状を把握した上で、現状に何らかの変革をもたらすとしたら、どのようなことが可能で、どのようなことは可能でないかをSOMによって的確に知ることができます。これは戦略問題にも通じるところですが、つまり、着眼大局・着手小局で、視野を広げて全体的な観点から方向性を見定めつつ、現状からあまりに隔たった目標を掲げるのではなく、近いところから着実に攻めるというのが定石となります。
これらのステップは、実際にはSOM上で展開されるわけですが、本や論文を書く場合、これらの議論はSOMのユーザー以外には通じにくいのが難点です。『As One』では、そのような配慮からか、書中でSOMが登場するのは、最初のほうの数ページだけで、あとはSOMで作成した8つの類型を従来的な十字チャート(縦軸・横軸)の上に置き直して論を進めています。
私は常々、十字チャートの安易な使用には批判的です。何の根拠もなく、ただ分析者の勝手な決めつけによって、2つの因子軸を持ち出して、それによって物事を分類してしまうのは、適切な分析方法ではありません。しかし、この本の場合は、先に(あらゆる先入観を排して)SOMで分類を行ってから、そこから2つの軸を発見しています。十字チャートは、より多くの人々に著者の考えを伝えるために、コミュニケーションのツールとして使用しています。そういう点で、この本は、バランスのとれた方法を採っていると言えるでしょう。
中身の詳細については、実際に本を手に取って読んで頂ければと思いますが、明らかに、この本は、人文系の分野での新しい研究スタイルを提示しております。ぜひ参考にされて、新しい研究にチャレンジしてください。
SOMを使って、どのようなデータをどのように分析すればよいかは、弊社にご相談くだされば、アイデアをお出しできます。

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パソコン30年

今朝の日経産業新聞に「パソコン30年」という記事が掲載されていました。感慨一入です。
パソコンが誕生してインターネットが商用化されるまでは、パソコンは主に「計算機」の役割を担ってきました。つまり、電子計算機の小型版です。フォン・ノイマンがコンピュータの原型を考案した1945年からインターネットが商用化されウィンドウズ95が発売される前年の1994年までの50年間は、「計算機の時代」だったと言えます。
1995年以降、パソコンがマルチメディア化され、インターネット接続が可能になり、パソコンの利用人口が急速に拡大しました。それまでパソコンは、東京の秋葉原の専門店か事務機商社を通して購入するもので、かなり高価なものでした。最新のパソコン1台の値段で乗用車が1台買えるぐらいでした。
1995年以降は、パソコンがどんどん安くなり、地方の家電量販店でも売られるようになりました。現在までの約15年間、パソコン・ユーザーにとっては夢のような時代でした。
昔は数100万円もするコンピュータ・グラフィックス専用のワークステーションでなければできなったような映像表示が、20万円以下のパソコンでもできるようになっています。現在、スキャナー付きのプリンター複合機がたった2万円以下で買えるようになっています。
この15年間、パソコンや周辺機器、そして、プリンタのインクや用紙に至るまで、すべての関連商品を手軽に安価に入手できたことは、本当に幸運だったと思います。
しかし、今、家電量販店に行ってみると、パソコン売り場が縮小されています。しかも、売っているパソコンが困ったことに仕事には使えそうもない製品ばかりになっています。映像がきれいに見えるようにツルツルの画面になっていて、仕事でパソコンを使うユーザーにとっては、映り込みが激しくて使えません。余計な機能を満載していて、画面がガチャガチャしています。キーボードやプリンタなどの筐体のプラスチック成型は、ペコペコで昔に比べて明らかに品質が劣ります。
で、「パソコン30年」の記事によれば、パソコンの時代が終わったということなのですが、はてさて、そうなってくると、ビジネス用に個人が使うコンピュータは、今後どのようになっていくでしょうか?
これからのパーソナル・コンピューティング
この15年間は、ビジネス用パソコンも家電あるいはホビー用パソコンもまったく同じ仕様を共有していたので、ビジネス用パソコンが安く入手できました。今後、メーカーのビジネスが携帯端末に移行していくと、ビジネス用パソコンを安価に製造することも難しくなるでしょう。メーカーはパソコン事業を中国の企業に売却し始めました。今後は、Made in Chinaのパソコンを使うことになるのでしょう。
そして、「パソコン」という形態自体も変化せざる得ないでしょう。クラウド・コンピューティングが主流になってくると、iPadを大きくしたような板状の端末を使うことになるでしょう。そう、映画「アバター」では、クリスタルな板状の端末を使っているシーンがありました。現実は、クリスタルじゃないでしょうが、あんなイメージですね。それを中国メーカーが作るのでしょうか。
ビジネス用の情報端末も手に持って使用するために、機械部分はなくなるでしょう。液晶またはその他の方式の表示部分と生体認証、USB、無線LANのみで構成されるのでしょう。中身が空っぽなので組み立て作業が簡単です。ソフトウェアは、どこかのサーバーにインストールされていて、ユーザーは暗証番号を入力するか生体認証によって、ソフトウェアを利用するということになるでしょう。
ソフトウェアのパッケージ販売というのはなくなるでしょう。しかし、問題は、「ソフトウェア」と一言に言っても内容は種々さまざまで、クラウド・コンピューティングに向いているものをあれば、そうでないものもあるのではないでしょうか?
これまでのソフトウエア・パッケージという形態も、知的所有権や税制など従来の法制度とうまくマッチしなかった部分がかなりありました。とくに日本でソフトウェア産業が育たなった大きな要因は、日本の社会がそこを上手く運用できなかったことにあると思います。ソフトウェアの不正使用は、実際、今でも根絶はされておらず、犯罪であるとの認識だけは普及しているので、組織内での隠ぺいが巧妙化しているだけだという見方もできます。
日本では法制度の不備によって、多くのソフトウェア・メーカーがまだ小さなベンチャー企業の段階で、どんどん潰されていったというのが現実なのです。
とはいうものの、これまでの時代は、ベンチャー企業が思い思いにソフトウェア・パッケージを開発して販売することができました。それは、パソコンが、1台ごとにCPUも内部/外部記憶装置も装備されている完結したコンピュータであったからです。エンドユーザーがそれぞれ自分の判断で、使いたいと思うソフトをインストールすることができました。また、インターネットが普及してからは、ユーザー数が少ない特殊なソフトウェアも、(法外な流通マージンを搾取されることなく)直接販売によってビジネスが成り立つようになりました。
しかし、クラウド・コンピューティングの時代には、それがどうなるのか?まだ見えていません。データ・センターの側で、あらかじめ使用できるソフトウェアが用意されるわけですから、ソフトウェア・メーカーは、エンド・ユーザーに自社の製品を選んで貰う前に、まずはデータ・センターに置いて貰うための努力をしなければならなくなるかもしれません。
つまり、ソフトウェア使用の統制化です。こうなってくると、一種の利権構造が生まれ、弱者がどんどん切り捨てられます。あるいは、使った分だけ使用料を支払う従量制サービスが一般化すると、もともと使用頻度の低い用途のために作った特殊なソフトウェアはうまく適応できないかもしれません。結果として、これまでのようなソフトウェアの多様性が失われることになるかもしれません。ただし、ソフトウェアの不正使用は100%根絶できる可能性があります。
こういう時代の変化の中で、統計ソフトやデータマイニング・システムは、どのような形態で、流通し、使用されていくようになるのか?今後の動向に目が離せません。
産業革命は、18世紀から19世紀の約100年間にわたって進行しました。それとの対比でいうと、我々がその真っ只中に巻き込まれている情報革命は、1940年代から2040年代頃までの約100年間のプロセスであろうと想像することができます。あと30年怒涛のような変化が起きることでしょう。
昨日までのビジネス・モデルは、もう明日には成り立たなくなる、ということをよく肝に銘じておく必要があります。