人工知能社会論を考える

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人工知能社会論を考える

現在、産業界では空前の人工知能ブームで、一部で「人工知能社会論」まで飛び出してきたとのことですが、それで思い出されるのが、80年代の「情報化社会論」です。当時、私は、セミナー会社で一連の情報通信技術の標準化に関するセミナーを企画・開催して、大いに儲けさせて頂きました。ごっつぁんです。
官製の高度情報化社会論では、今頃、電電公社のINSが全国津々浦々に普及しているはずでした。増田米治先生は元官僚でしたが、退官されて民間で情報化社会論を展開されました。とくに「機会開発者」という概念をつくられて、情報化社会において人びとが知的にして創造的な活動に精を出す理想郷を描かれました。
2015年の現在、我々はあの頃の未来をさらに通り越した未来に住んでいます。
そして、私は、情報化社会論がいかにきれいごとだったかを痛切に感じるわけです。まずインターネットが普及すること、新興のIT企業が台頭して怪しげな商品を売ったり、さまざまなトラブルを引き起こすこと、毎日大量の迷惑メールが送られてくること、企業や官庁から個人情報が漏えいして混乱を来すこと、子供たちが悪い大人の餌食になること、ネット上で新たなイジメの形態が発生すること等々、30年前には予想だにしなかったことばかりです。
もし歴史に学ぶとすれば、「現実は想像をはるかに超えて展開されるだろう」と考えるべきでしょう。
人工知能社会論をチラ見したところ、「人間を超える知性を持つ者と持たざる者の格差」とかなんとか言っているらしいですが、所詮それは一部の権力者やエリートにとって都合の良い想像ではないかと思ってしまいます。
昔は一部のエリートだけが重要な情報を握っていて、一般の人々との間に情報格差が存在しました。だから(私がセミナー事業で儲けたように)情報がお金になったのです。しかし、現在は情報そのものではお金を稼げません。むしろ、STAP細胞やオリンピック・エンブレムの騒動のように、名もなき民衆がネットを使って、権力にあぐらをかいているエリートたちの嘘を暴く時代になってしまいました。
仮に人間の能力を遥かに超える人工知能の開発に成功したとして、それを一部の権力者のために秘匿しておいて、はたしてその能力をいかんなく発揮できるものでしょうか?たぶん、大してうまい使い方はできないことでしょう。
一般の人々が人工知能にアクセスできる社会が到来したとき、たぶん、知性の格差というものがなくなってしまうのではないでしょうか?つまり、誰もが人工知能を使って、複雑な物事の先の先まで熟考した結果を理解することができるようになるでしょう。自分で考える力には個人差がありますが、他人のアイデアを利用するだけなら誰にでもできるのです。結果さえわかれば、少々の頭の良し悪しなんて問題ではないのです。
このような社会では高卒だの大卒だのという差別はナンセンスになってしまいます。実際、私の実感として、海外の超一流の大学を出たような人は、本当に素晴らしいですが、日本の普通の大学を出た人と高卒の人の間にそれほどの差があるとも思えないのです。日本国内の学歴差別というのは、いわれのない差別の一種です。
人工知能社会では、技術的なことをあまり伴わない、ほとんどのデスクワークはコンピュータにとって代わられるでしょう。公務員の大部分は不要になります。人びとは学校教育から解放されるでしょう。(そうゲゲゲの鬼太郎の歌のように。)長い人生の間の好きな時期に好きなことを学べばよいだけです。
このような社会では学歴によって人の身分の上下を決めることが、もはや意味をなさなくなるので、世の中全体が実力主義の空気を漂わせることになるでしょう。しかし、それはそれで世知辛い世の中です。結局、ますます俗物ばかりが幅を利かせる世の中になっていくとも考えられます。

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