人間の直観、集団の錯覚、そしてAI時代の概念構造分析
KJ法というものに、私は以前からどこか懐疑的であった。
もちろん、KJ法がまったく無意味な方法だったと言いたいわけではない。断片的な情報をカード化し、似たものを集め、グループごとに表札を付け、全体の関係を図解化するという手続きは、混沌とした情報を整理するうえで一定の効用を持っていた。特に組織の中で、メンバーがそれぞれ何を感じ、何を問題だと思い、どのような言葉で状況を捉えているのかを共有するには有効だったと思う。
しかし、KJ法がしばしば「創造的思考の方法」「集団による知的生産の技術」として語られてきたことには、強い違和感がある。
辛辣に言えば、KJ法は大人の「こっくりさん」だったのではないか。
こっくりさんとKJ法
1970年代、企業ではKJ法がもてはやされていた。その一方で、子供たちは放課後に「こっくりさん」で遊んでいた。「〇〇さんが好きな人は?」「将来どうなる?」といった他愛もない問いを立て、十円玉や鉛筆が動くのを、あたかも外部の意思が働いているかのように受け止めていた。
もちろん、実際には十円玉を動かしていたのは参加者自身である。参加者の微細な無意識の動き、期待、緊張、場の空気が、あたかも霊的な意思のように現れていただけである。
KJ法にも、これと似た危うさがある。
カードを並べ、似たものを集め、表札を付け、全体を図解化していく。その過程では、参加者の直観、思い込み、期待、経験、権威関係、場の空気が大きく作用する。しかし、作業が終わると、そこに現れた構造が、あたかも「データそのものから自然に浮かび上がった構造」であるかのように見えてしまう。
人間が作った構造を、人間が発見した客観構造であるかのように錯覚する。
ここに、KJ法の根本的な危うさがある。
KJ法は天才を生まない
KJ法は、ばらばらな情報を外部化し、関係づける方法である。その意味では、人間が頭の中で無意識に行っている分類や連想を、紙のカードの上に引き出したものだと言える。
評論家の立花隆氏も、KJ法について、人間が誰しも頭の中でやっていることを外部化したものだが、二人三脚のように非効率である、という趣旨の批判をしていたと記憶している。私も基本的にはこの見方に近い。
人間の頭の中では、情報の分類、連想、再配置、抽象化は高速に行われている。それをわざわざカードに書き出し、机の上で並べ替え、複数人で眺めながら島を作る。これは、個人の直観的思考を低速な共同作業に変換する手続きでもある。
もちろん、組織内では意味があった。なぜなら、組織では個人の頭の中が見えないからである。メンバーが何を考えているのか、何を不満に思っているのか、どこに違和感を持っているのかを共有するには、カード化とグルーピングは役立つ。
しかし、それは「知能の増幅」というより、「認識の共有」である。
凡人が集まってKJ法を実践しても、それだけで天才的な結果が生まれるわけではない。凡庸な観察からは凡庸なカードが作られ、凡庸なカードからは凡庸な島が作られ、凡庸な島には凡庸な表札が付く。
方法論は、実践者の知性を自動的に超えさせる魔法ではない。
GTAもまた天才を約束しない
同じことは、Grounded Theory Approach、すなわちGTAにも言える。
GTAはKJ法よりも厳格である。オープン・コーディング、カテゴリ化、継続的比較、理論的サンプリング、メモ書き、飽和といった手続きがあり、質的研究の方法論として一定の制度化がなされている。
KJ法が曖昧さや人間の直観を許容する方法だとすれば、GTAはより厳密なルールを研究者に課す方法である。
しかし、厳格なルールが創造性を拡大するとは限らない。むしろ、逆効果になる可能性もある。手続きに忠実であろうとすればするほど、研究者は「正しいコーディング」「妥当なカテゴリ」「説明可能な関係」に縛られる。その結果、飛躍、違和感、異質な連想、未定義の構造を拾いにくくなることもある。
GTAは、研究としての説明可能性を高める方法ではある。だが、天才的な洞察を保証する方法ではない。
KJ法が集団を天才にしないように、GTAも研究者を天才にするわけではない。
それでも両者には重要な共通点がある
では、KJ法やGTAには何の意味もなかったのか。
そうではない。
両者に共通しているのは、ばらばらな情報を単位化し、類似性に基づいてグルーピングし、グループごとの共通特性を抽出し、要素間の関係性を説明しようとする点である。
KJ法では、それはカード、島、表札、図解として行われる。
GTAでは、それはコード、カテゴリ、概念、理論として行われる。
表面的な形式は異なる。しかし、深層のプロセスはかなり近い。
- 断片的な情報を取り出す
- それらの類似性を見る
- 似たものをまとめる
- まとまりに名前を付ける
- まとまり同士の関係を考える
- 全体構造を説明する
これは、人間の手作業による意味のクラスタリングである。
そして、この点こそが、私の概念調査の最初のひらめきだった。
概念調査の原点
KJ法やGTAが人間の直観や手続きによって行っていることは、本質的には機械学習的なプロセスではないか。
ばらばらな情報をデータ点として扱う。
類似性に基づいてグルーピングする。
グループごとの共通特性を抽出する。
グループ間の関係を構造として表す。
その構造を解釈し、説明し、意思決定につなげる。
これは、クラスタリング、特徴抽出、プロファイリング、次元削減、ネットワーク分析、モデル解釈に対応する。
KJ法やGTAは、人間が直観的・経験的に行ってきた「意味の教師なし学習」だったと見ることができる。
この直観から、概念調査の発想が生まれた。
人間が曖昧に行ってきた意味のグルーピングと構造化を、機械学習によって外部化できるのではないか。さらに、その構造を人間が読み、AIも参照できる形にすれば、人間とAIのあいだに共通の概念空間を作れるのではないか。
この問いが、後のGNG+MST概念構造分析、そしてConceptMinerの原点である。
GNG+MSTはKJ法のAI版ではない
ここで重要なのは、GNG+MST概念構造分析は、KJ法を単にAI化したものではないという点である。
KJ法では、人間が「なんとなく近い」と感じたカードを集める。
GTAでは、研究者が「これはこのカテゴリに属する」と判断する。
どちらも、最終的には人間の判断に依存している。
GNG+MST概念構造分析では、テキストや文書や概念を埋め込みベクトルとして表現し、それらの意味的近接性を空間構造として扱う。GNG、すなわちGrowing Neural Gasは、その空間内の分布構造を抽出する。MST、すなわちMinimum Spanning Treeは、概念間の連結構造を示す。
もちろん、これも絶対的真理ではない。埋め込みモデルが作る意味空間は、人間の世界そのものではない。モデル、データ、前処理、距離尺度に依存する。
しかし、KJ法やGTAと違い、少なくとも「このモデル、このデータ、この距離構造では、こういう概念配置が現れている」と明示できる。そこに批判可能性が生まれる。
KJ法は、人間の直観を外部化した。
GTAは、研究者の解釈過程を手続き化した。
GNG+MSTは、意味空間の構造を計算可能な形で外部化する。
この違いは大きい。
AI時代の「こっくりさん」を避けるために
ここで注意すべきなのは、AIもまた「こっくりさん」になりうるということだ。
LLMが流暢に分類し、要約し、ラベルを付け、戦略的示唆を語ると、人間はそれを容易に信じてしまう。そこに本当に構造があるのか。単にLLMがもっともらしい言葉を並べているだけなのか。その区別は難しい。
KJ法では、人間が作った構造を「データから自然に浮かび上がった構造」と錯覚した。
AI時代には、LLMが生成した解釈を「AIが発見した客観的構造」と錯覚する危険がある。
人間のこっくりさんが、AIのこっくりさんに置き換わるだけでは意味がない。
だからこそ、LLMの言語的解釈だけに依存してはならない。埋め込み空間、距離、クラスタ、トポロジー、MSTといった構造を併置し、LLMの解釈を批判可能な形に置く必要がある。
GNG+MST概念構造分析は、このための方法である。
人間とAIの意味共有インターフェース
私がGNG+MSTに期待しているのは、KJ法のように人間同士の認識共有を支援することだけではない。
より重要なのは、人間とAIのあいだで意味空間を共有することである。
AIは、テキストを高次元の意味空間で扱う。人間はその空間を直接見ることができない。AIが「この概念とこの概念は近い」「これは周辺的である」「これは橋渡し概念である」と判断しても、その根拠は通常ブラックボックスである。
GNG+MSTは、その意味空間を人間が理解可能な概念構造として外部化する。
同時に、人間の意図、価値観、戦略的判断を、AIが参照可能な構造として表現することもできる。
つまり、GNG+MST概念構造分析は、単なる分析手法ではない。
それは、人間がAIの意味空間を理解し、AIが人間の意図構造を理解するための、概念共有インターフェースである。
結論
KJ法は、組織内の認識共有には役立った。しかし、それは集団を天才にする方法ではなかった。むしろ、参加者自身の直観、思い込み、場の空気によって作られた構造を、あたかもデータから自然に現れた客観構造であるかのように見せてしまう危うさを持っていた。
その意味で、KJ法は大人の「こっくりさん」だった。
GTAはKJ法よりも厳格な方法論である。しかし、厳格さは創造性を保証しない。GTAもまた、天才的な結果を約束するものではない。
それでも、KJ法とGTAには重要な共通点がある。両者は、断片的な情報を類似性でまとめ、共通特性を抽出し、関係性を説明しようとする。これは、人間が直観的に行ってきた機械学習的プロセスである。
概念調査、そしてGNG+MST概念構造分析は、この人間的な意味構造化プロセスを、機械学習、トポロジー、グラフ構造、LLMによって再構成する試みである。
目的は、AIでKJ法を便利にすることではない。
人間とAIが、互いの意味空間と意図構造を理解するための概念構造を作ることである。
KJ法が人間集団の直観を外部化した方法だったとすれば、GNG+MST概念構造分析は、人間とAIのあいだに共有可能な意味空間を外部化する方法である。
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